舞台『オルレアンの少女ージャンヌ・ダルクー』 大千秋楽

”ジャンヌは生きている”

強烈なキャッチコピーが印象的な、夏川椎菜さん初舞台・初主演である『オルレアンの少女ージャンヌ・ダルクー』

私は10/16(日)13:00~の大千秋楽に参加しました。

久しぶりの舞台観劇、そしてLIVE以外の現場ということで10月に入ってから常にソワソワしていました!

今回は舞台の感想や、劇中内容の考察について触れていこうと思います。

 

1.舞台の感想

夏川椎菜さん全10公演お疲れ様でした!!

初舞台×座長ということで、朗読劇やLIVEとは全然違う苦労があったかと思います。

初めてづくしの現場はいつだって緊張の連続ですよね。

そんな緊張や不安が大きい中、最後までやり遂げたナンちゃんは本当にすごいです。

 

ジャンヌ・ダルク”といえば女の子であれば一度はあこがれた存在。

すでに各々の中でジャンヌ・ダルクのイメージ像が出来上がっている中で、

新しい、夏川椎菜の”ジャンル・ダルク”を表現するのは非常に難しかったと思います。

 

ナンちゃんの演じる、

幼い少女のか弱さを残したジャンヌ

戦いを目の前にして戦闘狂のようになるジャンヌ

聖母から見放され、何かにすがらないと精神がおかしくなってしまいそうなジャンヌ

自らの意思で行動するジャンヌ

 

…書き出したら止まらなくなるほど、様々なジャンヌダルクを見せてもらいました。

「少女ジャンヌ」であれば、高く、か細い声に

「神の使いジャンヌ」であれば、低く、力強い声に

それぞれのジャンヌの演じ分けもまた凄かったです。

 

だからこそ、大千秋楽の最後のご挨拶の中で

「受け取ってくれてありがとございました!」

という言葉にはナンちゃんの思いがギューーーッと詰められていると感じました。

最後の涙には、思わずもらい泣きです。

 

また、個人的にビックリしたことは、

開演直後に鐘の音がなり、気が付いたら後ろをナンちゃんが通っていたことですね!

「気が付いたら夏川さんが真横を通っていた」という内容の情報は見かけていたので、

「そんなこともあるんだ」と暢気に構えていたらまさかの展開でした(笑)

たぶん人生で一番近い接近イベントだったかも!?

明らかにビックリした顔をしていたので、もしナンちゃんに見られていたら恥ずかしいな(笑)

 

そして、マイクアクシデントも!

最初、演技の一部だと思っていましたが、本当にアクシデントだったんですね(笑)

2回マイク落としていたけど大丈夫かな??

(きっと大丈夫だと信じよう、信じる者は救われる)

 

 

今回の舞台のテーマとして大きく「戦争」が取り上げられていました。

幕間に戦争に関する補足情報や女性の参政権の話を入れるなど、

社会的風刺内容が思ったより、多く少し驚きました。

 

ですが、

”「今」だからこそ改めてじっくり考えることが大切なんだよ”

と教えていただいたように感じます。

ある種”平和ボケ”してしまっている現代の日本、

いつまでも対岸の火事と思ってはいけないぞと強く考えさせられます。

 

一番印象に残っている言葉として、

”戦争によって亡くなった方の命が簡単に数字で表されること”

があります。

 

正直、はっとしました。

私自身が戦争を他人事として捉えていたことを自覚させられたからです。

一人ひとりの命は平等だ、と小学生の道徳の授業で学びましたが、

いざとなるとやはりその部分の意識が吹っ飛んでしまっている状態に、

自分自身の”平和ボケ”感を痛感しました。

だからこそ、「今の私が出来ることは何なのか」改めて意見を持つことが大事だと考えることが出来ました。

 

やはり、演劇って面白いですね。

事前情報なしで参加したことで、新鮮な気持ちで観劇出来ました。

ですが、複数回参加することで見える世界が違ってくると思うと、

今回1回しか観劇できなかったのは非常に惜しいことをしたな・・・

またリバイバル公演をしてほしいです!

 

2.劇中内容の考察

ここからは『オルレアンの少女ージャンヌ・ダルクー』の考察になります。

(あくまで一個人の意見です!)

 

私は今回の舞台では、特に「自由への渇望」を強く感じました。

ジャンヌのセリフの中に

<自由>こそ、私の願い!

(『オルレアンの少女ージャンヌ・ダルクー』台本P106より引用)

がありました。

 

ジャンヌ、改めシラーの考える<自由>とは何だったのでしょうか?

様々な<自由>が脳内を駆け巡りましたが、

今回の劇中で特に感じたのは、「選択の自由」でした。

 

齢たった12歳の少女が聖母の言葉を信じて、

故郷だけでなく、女の子でいることを捨てることを強要させられる。

字面だけ見ると現代なら一発アウトものですが、

もしかしたら当時のジャンヌからしてみれば、

その行動自体が決定づけられた常識からの逃避行動だったのかなと思います。

 

父親と全く口を利かず、常に睨みつけるような仕草。

まるで

「こんな父親が押し付けてくる幸せなんか絶対受けて入れてやらない!」

というかのよう。

当時の女性の幸せの象徴が”結婚”や”出産”など、

女性が表立って活躍しないことであると考えると、

ジャンヌが抱いている感情はきっと

”女性に自由が与えられない今の常識に対する嫌悪感”だったのでしょう。

後々の場面でイザボー太后が繰り返し「自由」という言葉を口にしたり、

愛原さんが幕間で「女性の参政権」について語りを入れていたりと、

色々なセリフや語りが繋がっているように思いました。

 

このシーン以降、ジャンヌは聖母の声を心の頼みの綱にしていきます。

神の使いとして、清廉潔白で聖母の声に忠実であること。

まるで自分自身の存在意義を聖母に委ねてしまっているように感じました。

だからこそ、

・心に迷いが生じたらすぐに聖母に頼る

・自分自身の存在意義を失わないよう、戦闘狂のように振る舞う

という行動がたびたび見受けられたのでしょう。

 

<自由>を求めて聖母の声に従ったものの、

結果としては聖母にジャンヌ自身の思考が支配されている状態、

つまり、「選択の自由」がない状態に陥っているように感じました。

 

しかし、敵将ライオネルとの出逢いによって事態は一変します。

本能的にライオネルと恋に落ち、気が付けば聖女でなくなってしまいます。

神の使いの資格を失い、聖母に見放されたジャンヌは心のよりどころを失うわけです。

シャルルの戴冠式前に、ジャンヌが自問自答しているシーンで

私、一体どこまで来ちゃったんだろう?

(『オルレアンの少女ージャンヌ・ダルクー』台本P86より引用)

私はなんで、こんな遠くまで・・・どうして?

誰か教えて!・・・マリア様はもう、何も応えてくれない・・・

(『オルレアンの少女ージャンヌ・ダルクー』台本P86より引用)

などのセリフから、

故郷にいた頃の、幼い少女のか弱さを残したジャンヌに戻ったことからも、

ジャンヌの置かれた状況が伝わったと思います。

 

聖母に出会ったことで「自分で考えて行動する自由」を失い、

猪突猛進のように聖母の言葉に従ってきたにも関わらず、

たった一度の行動で聖母に見放されたしまったジャンヌ。

聖母の支配下にいたジャンヌからしてみれば、もう訳が分からない状態です。

 

思考もままならない状態で、一度追放されレーモンと森の中で一緒に過ごすジャンヌ。

ある意味、ジャンヌが自分自身のことを見つめなおす時間になったのではないでしょうか。

このシーンで頭脳警察のPANDAさんの歌唱シーンが挟まります。

歌唱された「さようなら世界夫人よ」の歌詞の中に

”さようなら世界夫人よ さあまた

若くつやつやと身を飾れ”

あります。

この歌詞を聴いたことで「ジャンヌの心理変化を表現しているのか!」と感じました。(あくまでも私の主観です!)

このシーン以降、明らかにジャンヌの思考回路がポジティブなものに変化しています。

レーモンとのやり取りの中で、

ううん、誤解されたままでいい。いつか私を非難してる人達も、思い込みに気がついて、私を<魔女>だなんて思わなくなる。

(『オルレアンの少女ージャンヌ・ダルクー』台本P98より引用)

や、

朝日がまた戻ってくるように、<真実>が伝わる日もきっと来る・・・

(『オルレアンの少女ージャンヌ・ダルクー』台本P98より引用)

というセリフがありました。

聖母からの呪縛から解かれたことで、思考がクリアになったことで得られた変化なのかと思います。

 

自分の意思で考え行動することが可能になったジャンヌ。

だからこそ、最後に

<自由>こそ、私の願い!

(『オルレアンの少女ージャンヌ・ダルクー』台本P106より引用)

に繋がったのだと思います。

 

以上のことより、私はシラーが今回伝えたかったことは

”一度自由を失ったからこそ、

自ら考え行動する、選択の自由を訴えかけた”

ということだと思います。

 

なので、夏川さんの最後の挨拶の中で

「正解か不正解かわからないけれども、大切なのは自分で考えて意見を持つこと」

と伝えたものすんなりと理解出来ました。

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今回、初めてじっくりと一つの舞台作品に対して考えてみたことで、

作者シラーの考えに触れることが出来たかのように思います。

自分の考えを言語化することにかなり時間を要してしまいましたが、

無事に書き上げることが出来て良かったです。

 

今回の深作さんの舞台でこの作品に出会わなければ、ここまで深く考えることもなかったはず。

そう考えると、舞台作品との出逢いは「一期一会」と感じました。

 

舞台の楽しみ方を教えていただき、ありがとうございました!

これからも、舞台作品を観劇に行こうと思います。